angoudama’s blog

ブログやってます。 田舎育ちから見た「移住や地方創世について」書くかもしれません。

『S君でも出来たのにH君はできないの?』馬鹿されてるのは誰?

 

 

今日は「知らずのうちに人を馬鹿にしている言葉がある」ってお話

 

 

少しだけ昔の話をしよう、あれは私が中学生の頃の話だ。

 

私の通っていたのは田舎にある中学校でクラスの数も2クラスしかなかった。

確か私が所属していたクラスは2組で担任の先生はT先生と言った。

 

 

そのT先生は角刈り・サングラス・色黒・ジャージという絵に描いたような体育教師であり、野球部の顧問であった。

そしてあたり前のように生徒指導に先生でもあった。

まあ、外見が怖い先生が生徒指導をしているのは今も昔も変わらないだろう。

 

かと言って怒りっぽいとか理不尽な怒り方をするわけではなく、雰囲気だけが怖い人で、不良でもなければ怒られることはまずない。そもそも田舎すぎて不良はいない。(それっぽいヤツもいたがかなりマイルド)

 

したがって怒られてたり過剰にT先生を恐れていたのは野球部ぐらいであった。

 

 

いっぽうの私だが、何というか、たぶん、面白みのない人間であったように思う。

言葉を濁したのは別段暗い過去があるわけではなく、単純に中学生の頃をロクに覚えていないのである。

そのため当時のクラスメイトに「あんな事があったな~」なんて言われてもピンとこない。

 

 

T先生にまつわる思い出も、体育の時間に蚊がT先生の頭に止まって血を吸い始めたことぐらいだ。説教中だっために笑いを堪えるのが辛かった覚えがある。

 

記憶まるっと消え落ちている中学生の頃だが、もう一つT先生の思い出があった。

あれは確か体育ではない授業の時だった気がする。

体育の先生が体育以外の授業をすることは可笑しいかもしれないが、T先生は我ら2組の担任であったこともあり、HLみたいなことを受け覆っていたはずである。(ホントによく覚えていない、道徳だったかも)

 

その授業中に「弄る・弄られ」みたいな話しになった。おそらく学校に通ってた人であれば理解して頂けるだろう、クラスでよくあるアレだ。

ちなみに、これは授業のテーマではなくT先生の雑談から発展していた気がする。

 

授業なのか雑談なのかわからない話の中で、T先生は次のような問いを私たちに聞いてきた。

 

T先生「例えば『S君でも出来たのに、なんでHくんには出来ないんだよ』このときに馬

   鹿にされているのは誰?」

 

簡単な問題だ。クラスの中からポツポツと「H君」という声が聞こえてくるし、私も同感だった。

 

教室からの声を返答と受け取ったのか、T先生は口を開く

 

T先生「半分正解、でも馬鹿にされているのはT君だけじゃなくて、S君も馬鹿にされて   

   いるだろ?S君は値段を付けられているようなものだ」

 

このとき私は「ああ、考えたことも無かったなぁ」と思った。恐らくクラスの人間も同じことを考えていたはずだ。

T先生が発言をした後、教室からは衣擦れの音は消えていたので、だいたいの人間が「ああ、なるほど」という気持ちになっていたのではなかろうか。

 

一応簡単に説明すると

 

「H君」が出来ないことを弄られているが、それと同時に「S君」も「○○でも」という言葉によって馬鹿にされ弄られている

 

ということだ。

 

例えば「S君でも箸を使えるのに、なんでH君は箸が使えないんだよ」

   「S君でも自転車に乗れるのに、なんでH君は自転車に乗れないんだよ」

   「S君でも解けた問題なのに、なんでH君はこの問題が解けないんだよ」

 

と言った感じだろうか。

 

つまり、「H君」が馬鹿にされていることは間違いないのだが、「S君」は「H君」のレベルの低さを言い表す表現として使われているのだ。

 

そして、T先生はさらに

 

T先生「この発言をする人間の根底には、S君という存在に値段を付け、S君は自分より

   も格下だと思う気持ちがあるんじゃない?」

 

と続けた。

 

中学生の頃に妙に心に残った言葉だが、実際今まで生きてきた中でも「S君でも出来たのに、なんでH君には出来ないんだよ」という文法を使った会話をよく聞いてきたし、なんなら今でも聞く文法でもある。

 

 

ちなみに、なぜこんな話を始めたのかと言うと、お決まりであればここらで「T先生が亡くなったのを今日知ったから」という話になるだろうが、T先生は死んでなどいない……はずだ。

 

中学を卒業してた今となってはT先生のその後は分からないし、何よりT先生は私が中学2年生になるタイミングで転勤してしまった。

ただ、当時の年齢的から考えても現在も働いているような年齢だろう。

 

特に理由はないが、なぜか思い出したのでブログに書いてみた。

先生という存在に対して良い思い出は持ち合わせていないが、T先生の話だけは私の中で印象深い話になっているし、思い出を綺麗さっぱり忘れてしまっている中学時代の数少ない記憶の一つだ。

 

ただ、この話を当時のクラスメイトにしてもあまり覚えていないようで、ピンと来ないようだ。

 

俺でも覚えているのに、なんでお前は覚えていないのだ。

 

右腕が筋肉痛

 

今日はですね庭の草を焼いてました。

ちなみに今日の岡山県の最高気温は34度だったらしく、いくらここらがド田舎であっても暑いことには変わらないんですよ。

こんな炎天下の中、燃え上がる炎のそばに居るなんて正気の沙汰じゃないです。

 

ちなみに筋肉痛にもなりました、主に右腕。

何事も全身を使って肉体労働をすれば、体への負担が軽減されるとは聞きますが、草を集めて焼くという作業はどうやっても全身運動にはならず、腕を酷使する羽目になります。

 

筋肉痛のお陰でタイピングするのが辛く、もう右腕がプルプルするので今日はこの辺で。

 

ネットでの仕事の評価は完璧な実力主義

 

 

今日もパソコンに向かって記事を書いていましたアンゴウ・ダマです。

 

今回はクラウドソーシングサイトのプロフィール欄の重要性」について語りましょう。

 

最近はクラウドソーシングのサイト経由で仕事の招待が届くようになってきました。

一週間に2~3つぐらいでしょうか。(大概は一斉送信のメールなんですけどね)

 

 

 

 

それでも仕事の招待が増えた理由としては

 

 

1 評価が上がった

 

2 実績が増えた

 

3 プルフィール欄を改定した

 

 

が上げられると思います。

 

1と2に関しては別段言及する必要はなく、ただ数をこなしていけば評価も実績も上がります。

 

ただ意外と盲点なのがプロフィール欄の改定という作業。

そもそも初心者がクラウドソーシングのサイトで仕事を取ろうと思えば、コチラからクライアントに提案して仕事を取っていく必要があります。

仕事を取るためクライアントを口説くことに重点を置き過ぎすぎて、ある程度実績を積んだとしても、プロフィールの重要性に気が付かなかったりします。(まあ私もそうでした)

 

 

 

 

少し話が逸れますが、仮にクラウドソーシングのサイトに登録してすぐに仕事依頼がくるとすれば

 

1 過去何かしらの分野で実績を残している

 

2 もしくはそれに相当する資格を持っている

 

3 超低単価でこき使おう考えているクソクライアント様 

  がアナタを狙っている

 

といった理由があるでしょう。

1と2に関しては以前は会社で働いていたり、表彰されたりして作品が形になっている場合ですね。

SEとかイラストレーターといった方々でしょうか。

 

 

 

 

さて、話を戻して「なぜプロフィールを改定すると仕事が増えたのか」という理由ですが、それはネットでの仕事は実績が全てだからです。

 

例えば就職活動においてどんな会社であっても「面接」があると思います。

年功序列は終わった、これからは実力主義だ」と言われても、実際には面接があり、そこには人間らしい判断基準があります。

つまりは「好き・嫌い・合わない・合う」という基準で評価されたり、人柄で評価されている、ということです。

もちろん人柄が全てではないですが、大なり小なり人柄が評価に影響することは間違いありません。(同じ能力の人間が面接に来たとき何を基準にして採用不採用を決めるか、みたいな話です)

 

一方、ネットでお仕事している場合の個人の評価は「コイツは今までどんな実績があって、どんな仕事をしてきたか」という点に絞られます。

 

もちろん長期に渡ってクライアントと仕事をしていれば、メールなどを介して人柄は伝わっていきますし、やはり相手も人間ですから心象が評価に影響を及ぼさないとも限らないです。

 

ですが、相手のことを全く知らない場合に仕事を頼むとき、信用できるのは「実績」の二文字のみです。

ネットであれば直接会って話すということができないだけ「人柄よりも実績」が強いかもしれません。

 

そのためクラウドソーシングでお仕事をする場合はプロフィール欄がモノを言うのです。

クライアントは「顔も分からないその人を信用するに値する理由」が欲しいのです。

 

ただし自分の顔写真を載せたり、もしくは自分がやっているブログを紹介したりすれば、ある程度は人柄による評価も関係してくるかもしれませんね。

 

そろそろ〆ましょう

 

「ネットで仕事をする場合プロフィール欄はとても大切、 

 なぜならクライアントはその人を信用するに値する理由

(実績)を欲しがっているから」

 

 

ちなみに私はコレに気が付くまで3ヵ月も掛かってしまいました。

 

 

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退屈だから体感時間が長いのか

 

最近は一週間が恐ろしく早く感じている、アンゴウ・ダマです。

 

なんでしょうね、一週間たつのが恐ろしく早い。

この前、土曜日だなーと思ってたのに気が付くと一週間が経過。

ただ、一日の時間はやけに長く感じていて、時間の感覚が可笑しくなってしまったような気がします。

 

 

年齢を重ねるにつれて体感時間は短くなっていくと言われますが、それでもまだ二十代ですよ。

確かに小学生~高校生の頃に感じた体感時間よりか時の流れを早く感じますし、年々、一年が経過するのも早くなっているような気がします。

 

その理由は歳を重ねるにつれ未経験なことが減っていき、全てが見慣れた光景となり刺激が無くなっていくからだ、と言われているようです。

ただ、退屈や暇という時間は「つまらない」」という気持ちを持っているため、時間の経過が長いのだ、という考えもあります。

バイトをしていて「早く終わらないかな」と時計を何度も見てしまうのが分かりやすい例かもしれません。

 

 

 

この話はどちらも本で読んだ内容なのですが、最近の私の体感時間「一週間は短じかく、一日を長く感じる」というのはどちらにも当てはまってしまいます。

 

一日一日は「つまらない」と感じているけど、一週間というスパンで見たら「刺激的」なんてことはあるのでしょうか。

 

ホント良く分からないです。

 

「締め切り」という言葉に憧れてました

 

はい、昨日まで締め切りに追われてましたアンゴウ・ダマです。

 

今までは「締め切り」という言葉に漠然とした憧れを持っていましたが、実際にお金をもらっている「締め切り」ってのは胃に悪いだけですね。

 

 

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