angoudama’s blog

ブログやってます。 田舎育ちから見た「移住や地方創世について」書くかもしれません。

スクールカーストの階層はご先祖様が関係してるかも

 

 

こんばんは、アンゴウ・ダマです。

 

今日はスクールカーストの階層はご先祖様が関係してるかも」ってお話。

 

続き記事のようなものなので前の記事を読んでみると面白いかもしれません。

 

angoudama.hatenablog.com

 

 

 

昨日、記事を書いたあと「町の歴史書」を読み進めていました。

その中に「町のしきたり・身分」みたいな項目があって、言ってみれば「士農工商」

のお話ですね。

 

江戸時代は明確に身分が分けられていて、これは私が住む片田舎であっても知らぬ存ぜぬなんてことはありませんでした。

 

 

で、その「士農工商」を説明するにあたって「庄屋」という単語が出てきます。

この「庄屋」というのは、簡単に説明すると「村長」みたいなものであって、年貢の管理や村の政策に関わっていたみたいです。

ちなみ「庄屋」という呼び方は西日本、東日本では「名主」、東北・北陸地方では「肝煎」なんて呼ばれていたみたいです。

 

で、この「庄屋」ってのはお役目柄、苗字を名乗ることが許されていたようで、「町の歴史書」の中にもチラホラの苗字とともに名前が記されています。

庄屋の田中平次郎、みたな感じでね。

 

 

彼らが年貢の管理や政策に関わっていたのは上記しましたが、他にも村人同士の揉め事(田んぼに引く水や山の領有権みたな争いが主)の仲裁なども引く受けていたようです。

 

 

そんな庄屋を務めていた彼らの苗字を見ていると、あることに気が付きます。

それは「現代の町人でその苗字を名乗っている人がいる」ということです。

まあこれは当たり前といえば当たり前ですが、問題は「その苗字の人間は現代においても町内で重要な役割についている場合が多い」ということです。

 

例えば、学生時代に「市の歴史書」を読んでいたことがあるのですが、その中に登場する豪商・豪農の苗字の方は、現代では市長や議員を務めていることが多いのです。

 

まあこれは田舎に限らず、どんな街でもそうだと思います。

国会議員を務める方は先祖代々、政治家の家系であったりしますし。

 

で、繰り返しになりますが、今読んでいる「町の歴史」でも同じことが言え、「庄屋」を務めた苗字の人は、現代の町でもその苗字を名乗っており、かつ重要な役職についていることが分かります。

 

それら苗字を眺めていると、小学校や中学校のクラスメイトにも、こんな苗字の人がいたなー、なんて思い出しました。

 

 

そして更に記憶を辿っていくと、それらの苗字を持つ人はスクールカーストの頂点辺りに存在していたなー、なんてことも思い出しました。

 

クラス委員長をしていた彼とか、勉強が出来た彼女とか、体育祭や文化祭でリーダーシップを発揮していた彼らとか、そういったポジションにいた人物の苗字は、江戸時代、この地域で「庄屋」を務めていた苗字と同じなのです。

 

さらに言えば、クラスメイト同士のトラブルを仲裁していたのも彼らでしたし、先生がブチギレて職員室に帰ったとき先頭になって謝っていたのも彼らでしたね。(彼らは何の原因も作ってないのですけどね……)

 

 

この役割って「町の歴史書」に記されている「庄屋の役割は年貢の管理・村人の揉め事の仲裁などもあった」と酷似していますね。

 

 

ご先祖様が村人の揉め事を解決していたように、その末裔もクラスと言う名の村で、クラスメイトという村人同士の揉め事を解決していたみたいです。

 

うむ、お家柄って本当にあるのね。

 

まあ、あくまで私の地域の歴史の話であって、他の地域の話はわかりません。

(でも、たぶん似たようなモノだと思ってます)

 

あ、ちなみ私の苗字は出てきませんでした。

たぶん苗字を名乗れない身分だったのだろうと思いますね。

 

ここらの話を掘り下げすぎるときな臭くなってきますから、そろそろ止めましょう。

 

ではでは、今日はこの辺で。

 

 

追記

ちなみに「庄屋」を務めていた人というのは、関ケ原の合戦によって天下統一がなされる前、つまり中世の時代でも地元の豪族の元で「庄屋」のような役割を務めていた場合があるそうです。

中世→近世→平成と時代が進み、規模や意味は違えど、その因子が引き継がれているのに驚きです。