angoudama’s blog

兼業でライターをやっています。本業は自宅警備兵です。

学生時代を京都で過ごすということ

 

私は学生時代を約5年京都で過ごしている。

 

学士過程で卒業したにしても、大学院に進んだにしても、ちょっと可笑しな年数だがそこは察して欲しい。

 

今日Twitterを見ていると、京都の八坂神社前で大量の人が溢れかえっている写真が流れてきた。

浴衣を着ている女性、何かを嬉しそうに頬ぼっている子供、道にあふれる人々。

 

京都では祇園祭りが開催さているようだ。

日本三大祭りの一つに数えられ山鉾が街中に出て来るアレである。

 

www.sankei.com

 

 

 

と言ってもこれは祇園祭りの一部に過ぎず、約一ヵ月もの間に様々な行事が開かれている。

一般の観光客が見ることができる行事から、何百年と昔から続く家系の人間しか出席できないのだろうな、と思うような行事まで色々だ。

(今日取り上げるのは四条通歩行者天国になる宵山ってやつですが、便宜上、祇園祭にしています)

 

私が学生の頃は何度か足を運んでみたことがあるが、人の多さに当てられ気持ち悪くなってしまうほどだった。

これが京都のお祭りかと思ってみたが、どうやら京都生まれ・京都育ち・京都住の人はあまり訪れない人が多いらしい。(お祭りを回している立場の人は別)

 

スゴク楽しかったという思い出もないけれど、それでも京都という街が持つ長い歴史と文化の片鱗を手軽に体験できると思う。

 

人を交わしつつ歩いて行けば山鉾がチラホラ見えて来るし、どこか通りに入ってしまってもその先にも山鉾があり、人が居て、夜店が立ち並んでいる。

 

でもそういった風景を眺めていると、山鉾以外はどこにでもあるお祭りに見えてしまうのも事実だ。

もちろん私の知識不足や好奇心の不足もあったろうが、ただお祭を見ているだけの自分はどこまで行っても観光客であり、かと言ってお祭りを回す立場になれないことを考えると、日本のどこかのお祭りと同じように見えてしまう。(立場の問題だね)

 

祇園祭りに足を運ぶ観光客というのは、言い方が悪いかもしれないが、ただの野次馬とも言えるだろう。

そして物珍しさに見物した私も野次馬であり、けっして祭りを回す側にはなれない人間だったろう。

 

山鉾に乗っている大人や子供を見ていると、ああいう人々は町内会の集まりだったりするのかと思ったり、細い横道に建てられたテントで談笑する人々には、下町の付き合いのような匂いを感じる。

 

その光景は京都だからと言って格式が高いというわけではなく、私が子供の頃に参加した地域のお祭りの寄合所と同じに思えたぐらいだ。

 

もちろん規模も仕事量も私の地元のお祭りとは比べもにならないだろうが、そこに流れる空気は良い意味でヌルく、そして楽しげなもので、そんな見覚えのある場所に参加できないのは少し寂しい。

 

だが京都に住んでいる学生というのは「京都住だけでよそ者」という微妙な立場であり、それは京都住みと観光客という二つの立場を都合よく演じることができる。

観光客のような、地元民のような、なんとも不思議な感覚でお祭りを楽しめるのも事実だ。

 

これから先、私は京都を訪れることはあっても、恐らく住むことはないと思う。

それは同時に、これから私が見るかもしれない京都の姿は、どこまで行っても観光客としての比重が重く、学生時代のような感覚を覚えることはないだろう。

 

記憶に残っている京都はどこまでも幻想であり、でも私にとっては事実であり、そして今も変化し続けている京都の町もまた事実だろう。